【 聖徳太子ひのもと会 】 TOP 予定と足跡 アルバム ゆかりの地 薨去1400年
【 トピックス 】
11月23日(日) 法隆寺 ほか
時間など、未定
参加を希望される方は、お知らせ下さい
お出かけ会のリクエスト、募っています
聖徳太子 薨去1500年に向けての会
日本で一番初めに立上がりました ( 令和五年一月一日 発足 )
令和3年4月から令和4年12月まで執り行った、「 聖徳太子 薨去1400年 」の会は、とても有意義なものとなり、予想を大きく上回る盛り上がりでした
聖徳太子ひのもと会は、この気運を止めることなく、100年間、聖徳太子さまの活動を続けます
御遺跡・霊場に参ります
写真 : 叡福寺 聖徳太子御廟
聖徳太子さまゆかりのお寺などは、観光としてもとてもすぐれたものが多いです
法隆寺
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
聖徳太子さまの残した文献から学びます
かみんぐす〜ん
仏教徒、聖徳太子
日本の歴史の重要人物しての聖徳太子さま
伝わる資料がとても多く、日本の歴史研究の観点からも、とても重要です
既成の歴史学にないものにも目を向けていけたらと想います
先代旧事本記の中で、秦河勝が「聖徳太子さまの目が杜若のように紫であった」と語っている記述など、とても興味深いことです。
神としての聖徳太子
写真 : 鵲森宮
日本のいたるところに、天皇、天皇家の人が神様として神社に祀られています
その流れから言うと、聖徳太子さまは日本中に祀る神社があってもよいくらいの人ですが、実際は、とても少ないです。それには理由があると思われます。
写真の鵲森宮は、その中でも稀な神社であり、中心、根底の神社とも言えます。
これについては、ここでは文字にできませんので、ご興味のある人は、直接お尋ね下さい
聖徳太子さまに伝わるお話には、霊能力を使ったことがたくさんあります
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
聖徳太子さまの愛馬
富士山を越えて信濃国まで行き、3日で帰った伝説があります
かみんぐす〜ん
「日本國未来記」と「未然紀」(未然本紀)
「日本書紀」に記された「兼知未然」 〜兼ねて未だ然らざるを知ろしめす
荒陵(あらはか)の四天王寺創建にあたって、小野妹子の息子が霊能力を発揮し、木材運搬のための鼬川を造りました。
聖徳太子さま開基のお寺にお参りし、薨去1500年に向けての誓いを立てました
大聖観音寺 ( だいしょうかんのんじ )
地元では、あびこ観音の名で通っています
令和5年1月2日
古事記、日本書紀にも記されている依網池 ( よさみいけ )の近くに御鎮座しています
この会では、聖徳太子さま開基のお寺には、多く参ることとなります
聖徳太子さま薨去1300年の年、法隆寺の管主であった佐伯定胤猊下は、「 聖徳太子千三百年御忌奉賛会 」をつくり、盛大な遠忌法要を執り行いました。佐伯定胤猊下は、皇室、宮家、徳川家をも動かし、とても大きな功績を成し遂げました。
100年後の薨去1400年、聖徳太子賜姓の日下家の会は、その気運を受け継いで活動することができました。そして、さらに100年後の薨去1500年に伝えていく活動をしていこうと志しています。
佐伯定胤猊下が起こし盛上げた、聖徳太子さま奉賛の精神を受け継ぎ、これからの100年につなげていきたく想います。
※ 久邇宮邦彦親王、徳川頼倫侯爵、渋沢栄一男爵、細川護立侯爵
聖徳太子 薨去1400年の会に参られた人を中心に、会員が増えつつあります
どちらさまでも、希望される人はお知らせ下さい (会費なし)
活動内容は決まっていませんが
などは、行なうのではと想われます
ともに楽しみ歩んでいこうと想われる人々が、ひのもとの隅々より、どんどん集うことと想います
活動の記録 → 聖徳太子ひのもと会 足跡
聖徳太子さまの精神を受け継ぎ、日本の国の人々の幸せのお手伝いをする。また世界にも広げていく活動
【 発起人 】 日下治郎兵衛 ( くさかじろべい )