木津屋治郎兵衛

名跡襲名

継承される名跡

 300年前より代々、木津屋の当主は木津屋治郎兵衛(きづやじろべい)という名跡を襲名しております。昔の商家では、代々同じ名跡を襲名しているお家が、多くございました

 古文書などを広げてみますと、「治郎兵衛」でなく、「次郎兵衛」の名も見えます。例えば嘉永の時代の古文書に、木津屋次郎兵衛の名跡が見えます。これは、その道の専門家の意見によると、当時の読みを重視した慣わしによるものとのことで、大きな意味はないのではないかと推測されます。
 他所様に目を向けますると、大坂の代表的な豪商は「鴻池屋」。この歴代当主は「鴻池善右衛門」の名跡を襲名しておりますが、二代目は「喜右衛門」となっております
 また、伊藤財閥として知られる豪商伊藤家(潘州印南郡)は、伊藤長次郎と伊藤長治郎の名跡を襲名していました。「次」と「治」が使われているのは、「木津屋」と共通しております

 治郎兵衛の「衛」の字は、以前は旧字体が使われ、「木津屋治郎兵衞」と書いておりました


名跡の由来

木津屋

 物語は、聖徳太子様の四天王寺創建に遡ります。推古天皇元年に建立の四天王寺でございますが、その創建に伴い、諸国から大量の木材が、御先祖の住んでおった難波の海浜の邸宅前に集められました。そのことが、「木津」「木の津」の地名の起こりとなりました。「木の津」「木津」の名が後の木津村となり、当家にとってとても縁の深いものでございます。そのゆかりの地名である「木津」から、木津屋という屋号は命名されたようでございます

治郎兵衛

十二世 木津屋治郎兵衛

 「治郎兵衛」という名跡の由来は、文書では伝わっておりませんが、元々は「次郎兵衛」であったのではと考えられます。江戸時代の同時期の大阪に、木津屋次郎兵衛、木津屋四郎兵衛、木津屋五郎兵衛の名跡の店が確認されており、それらのお家は本家分家の関係の同族であったとのではと考えられております

木津屋五郎兵衛について → 鰻谷の木津屋

 「治」という文字には、漢方薬により体の病や傷を治す、という意味も込められているのではないでしょうか。また、お店やお家を「治める」という意味合いも感じられます


官名

 「兵衛」というのは、本来は官名(かんな)と呼ばれ、国の役職を表す名でございます。「兵衛名」は、律令制の兵衛府(ひょうえふ)の官職名に由来し、郡司(ぐんじ)有位者の子弟や平民中武芸に達する者から選任されました。ただし、江戸時代には、右衛門や左衛門等が町人の間で広く使われ、木津屋治郎兵衛が、本来の官名に由来しているか否かは判っておりません。


日下姓

 木津屋は屋号でございます。本姓は日下姓(くさか)で、近年の歴代の戸籍における名は日下治郎兵衛(日下次郎兵衛)でございます → 日下姓

聖徳太子様

 「 日下 」の姓は、当家の御先祖様が聖徳太子様より賜わったもので、かくも有り難き名跡でございます

 聖徳太子様が蘇我馬子と物部守屋(もののべのもりや)を征伐した際に、当家御先祖の小野義持(おののよしもち)は、迹見赤檮(とみのいちい)等と共に参戦し、大功を立てました。その賞として「河内国日下の荘」に広大な田地を頂き、「 日下 」の姓を称えるよう命じられました。

 当家は聖徳太子様より頂いた、この有り難き「 日下 」の姓を、1400年以上に渡り継承してまいりました。現在の当主で44代目になります。

 「 日下 」の姓を賜わりましたが、昔の慣わしである氏(うじ)は、小野氏でございます

小野妹子 ( http://ononoimoko.org/ )


 「河内国日下の荘」は、現在の東大阪市日下町辺りです

 「河内国日下の荘」の田地は、後に、禁庭に献上いたしました

聖徳太子様 → 聖徳太子( http://ononoimoko.org/ )


古事記

 また、「日下」の名は日本の国号(国名)の元になったという説がございます古事記にも登場する「日下」の 名は、古代、更には神代の時代よりの大変古いものでございます

 古事記には、「かれ、そこを号けて楯津といひき。今者に、日下の楯津といふ。」という記述などがございます

古事記の記述の詳細 → 日下姓


十三世 木津屋治郎兵衛

襲名の日

 平成十九年十二月十七日をもって、十三世は、 木津屋治郎兵衛の名跡を襲名いたしました。
 この日は、十二世 木津屋治郎兵衛の命日にあたります。奇しくも、十二世は四十一歳でこの世を去り、十三世の襲名の年と同じでございます。名跡襲名には、最も相応しい日でございました

名跡襲名 記念切手


 襲名記念

 名跡襲名を記念して、お得意さま他関係者に配布された記念切手



襲名十周年

 名跡の襲名十周年を祝って、パーティーを開きました

木津屋治郎兵衛 襲名十周年襲名十周年 祝い


 木津屋治郎兵衛 襲名十周年記念 平成二九年十二月十七日


プロフィール

木津屋治郎兵衛1966年 大阪市住吉区遠里小野にて誕生 名は征陽
1988年 22歳、商いの道に入る
1992年 木津屋ゆかりの地、木津村(浪速区)に店を構える
2001年 江戸時代より本家のあった、大坂南堀江に戻る
2007年 十三世 木津屋治郎兵衛の名跡襲名
2011年 創業300周年行事の挙行
2017年 十三世 木津屋治郎兵衛 名跡襲名十周年
2019年 ≠ 堀江コレクション ≠ (ファッションショー)の立ち上げ
2021年 創業310周年行事の挙行
2021年 聖徳太子薨去1400年行事の挙行 (至2022年)
2023年 聖徳太子ひのもと会の発起
2023年 八坂の会の発起


住吉行宮 菊の御紋

 歴代の木津屋治郎兵衛、および木津屋の暖簾(のれん)のおかげにより、日々、商いをさせて頂いています。

 遠里小野村は、初代天王寺屋五兵衛の生誕地で、とても光栄に思っております。天五こと天王寺屋五兵衛は、遠里小野村から北船場に移り、両替商を営んだ江戸時代の代表的な豪商でございます。

 遠里小野の地名は、万葉集にもその名が見られ、とても古い歴史がございます。


写真 : 遠里小野の少し北、住吉行宮の跡地の扉(菊の御紋)
かつてこの地に、二代に渡り、天皇陛下が住まわれました


 趣味:ハンググライダーで空を飛ぶこと  ハンググライダー

 「生き物文化誌学会」会員
 「関西山口県同郷会」会員

講演・取材・執筆 受付