木津

【 木津 】 TOP 木津川 木津城


 大阪の木津をご紹介。 木津屋の名は、この木津に由来しています。


聖徳太子

 木津の起こりは、聖徳太子さまの政(まつりごと)が元になっています

四天王寺

四天王寺 五重塔

 木津の「 木 」は、四天王寺を建立した「 木 」のことです

荒陵

 荒陵の地に四天王寺が建てられることになり、諸国から木材が集められました。



木の津

 木を集め置いた津なので、木の津です

木の津


 木の津 : きのつ

 長らく「木の津」が地名として呼ばれていたと考えられます

 後に、木津となっていたと考えられます



木津村

 木の津と呼ばれた地名から、やがて、木津村ができました


 「 東 」「 西 」「 中 」「 新 」「 岡 」「 大 」「 北西 」「 大道 」などの町がありました

 村と云っても、その中にたくさんの町があり、にぎわいのあるものでした


木津 道標


 木津への道標 : 天王寺区逢坂



「木津難波道」

 かつて、難波村、法善寺あたりから木津に続く道は、木津難波道と呼ばれていたようです


欽明天皇

 木の津は、その昔、欽明天皇の行宮があった地であります

欽明天皇 丸山古墳


 写真: 丸山古墳 (橿原市)

 欽明天皇の御陵であるという説があります


 欽明天皇の妃に、和珥糠君娘がいらっしゃいます。糠君娘は小野妹子と同じ和邇氏の人です。このことからも、当家のご先祖がこの地に来たつながりを感じます。


願泉寺

欽明天皇

 欽明天皇の行宮があった地に、聖徳太子の命により建てられたお寺です。木の津は、かつて禁裏であった素晴らしい地であります。かつては、景勝地でした


 今の境内は、元の地から数百メートルほど移されています

 元あった地名 : 木津 字堂面、その後、木津北島町2丁目となりました


名所

 牡丹の名所

 「大坂けんんぶつ」(矢嶋嘉平次 著 明治28年5月発行)に、四季遊覧所として紹介されています


跡見学園

ごきげんよう!

「 ごきげんよう 」は、今、たくさんの学校で使われている挨拶の言葉です。この「 ごきげんよう 」の挨拶の考案者は、木津が生んだ跡見花蹊 ( あとみかけい )さんです

唯専寺

 跡見学園の創設者 跡見花蹊さんが出たお家

 木津屋のご先祖のお寺とお隣で、深くかかわりがございました


迹見赤檮

 迹見赤檮 ( とみのいちい )

 聖徳太子さまの下、木津屋のご先祖と共に戦い、手柄を立てました


木津宗詮

 茶道の木津宗詮は、木津の出です

 代々、活躍を続けています。武者小路千家の教授をつとめています

 木津屋とは10代ほど遡れば繋がる親戚のお家です


木津勘助

 木津川の治水、勘助島の開発などを行った土木工事の達人です

 1610年、木津村に移住しました。本名は中村勘助で、木津の名は木津村に由来します


 寛永7年(1630年)木津川の浚渫工事をしました


木津川

 木津村を流れる川

木津川のページ → 木津川


浪速区木津川

町名


木津川駅

木津川駅


 南海汐見橋線

 大阪市内で指折りのレトロな駅



木津川飛行場

木津川飛行場跡


 かつてあった飛行場


木津川飛行場


 東西に伸びる滑走路

 海からの風を利用したと思われます

 by 治郎兵衛 → ハンググライダー


 大阪第二飛行場(伊丹空港)ができるまで、国内最大規模の航空拠点でした


木津市場

 木津屋の創業と同じ頃、木津村に市が立ちはじめました。

 その後、木津村の名から、木津市場となりました。


木津城

 織田信長と十年あまりに渡り戦い、歴史に残る働きをしました

木津城のページ → 木津城


木津港

 まったく見られなくなっている名称ですが、かつて存在したいました。おそらくは、木津川の河口あたりのことかと考えられます

 江戸時代に、木津港を詠んだ漢詩があります (儒学者 篠崎竹陰)


 木津港 篠崎武江

 萬檣舟泊木津川 一點燈臨墨浦波 東語西音互相問 明朝風候容如何


伝統野菜

木津村の伝統野菜

 その他、菜類、茄子(なす)、南瓜(なんきん)、西瓜(すいか)、若牛蒡(わかごぼう)、分葱(わけぎ)、芋類も、作られていました。 (出典:木津市場史)


敷津松之宮

敷津松之宮御旅所

敷津松之宮御旅所



 木津村の南の端あたりです

大阪府大阪市西成区松2丁目3-13 


鼬川

 鼬川(いたちがわ)

 木津村の北の端。これより北は難波村。

鼬川のページ → 鼬川


七瀬川

 元は木津川の流れで、のち、木津川の支流に


折口信夫

折口信夫の生誕地


司馬遼太郎

 司馬遼太郎さんは、かつての木津村の北の端あたりに生まれました。また、家が薬局ということで、木津屋とのご縁を感じます。

 木津屋のある南堀江に住まれていたこともございました。

俄 浪華遊侠伝

 司馬遼太郎さんの小説 「俄 浪華遊侠伝」に、木津村がでてきます。唐薬問屋の加賀源(加賀屋源兵衛)の寮が木津村にあります。薬問屋というのも木津屋と重なり、趣深い内容になっています。


敷津

 木の津、木津の地名ができる前から、敷津という名がありました。

万葉集

 もしほ草敷津の浦の寝覚めにはしぐれにのみや袖はぬれける (俊恵法師)



津守神社

津守神社



 木津村南部の西側に開墾された津守新田にご鎮座しています

 江戸時代、木津屋創業の少し前にできました



木津屋

 木津の願泉寺から堀江に出て、商家となる


 ★ まだまだ作りかけです。 ご期待ください