木津屋のご先祖が創建した清水寺 → 清水寺 ( 清水寺の公式ページ )
清水寺創建者の子孫が綴るページ
音羽山 清水寺 ( おとわさん きよみずでら )
北法相宗 ( きたほっそうしゅう )
↑ (奥) 地主神社、本堂 (中ほど) 中興堂、随求堂、経堂、三重塔、轟門 (手前) 仁王門、西門
京都の東山にご鎮座しています
清水寺のある山は音羽山 ( おとわやま )と呼ばれますが。正しくは清水山 ( きよみずやま )のようです
四条烏丸より望む清水寺 →
← 子安搭 ( こやすのとう )から望む清水寺
仁王門、西門、三重塔、経堂、田村堂、轟門、回廊、本堂/舞台
↓ 清水寺境内 ↓
本堂のご本尊です
秘仏ですが、33年に一度、見ることができます
2033年に開帳されます
木津屋はお参りに行きますので、ごいっしょ頂ける方は、おっしゃってください
↑ 「 清水寺のみほとけ 」 監修:清水寺 編集・随筆:根立研介 執筆:坂井輝久 東京美術
子安搭から望む清水の舞台
音羽の滝 ( おとわのたき )
清水寺の寺名のもとになった湧き水
「 百年を生きる 」 大西良慶 現代史出版会 ↓
大西良慶和上 ( おおにしりょうけい わじょう )は清水寺の中興の祖です。1914年に清水寺の住職となり、貫主を務めました
はじめ興福寺に入り出家しました。清水寺に入ってからも、しばらく興福寺も兼努しました
法隆寺の佐伯定胤大僧正 ( さえきじょういん だいそうじょう )より、唯識を学びました
1890年8月に再興された勧学院の第一期生で、1897年の3月まで法隆寺に通いました
また、佐伯定胤大僧正は、十七、八歳のころから二十代半ばの間、断続的に清水寺の白雲居(はくうんきょ)という離れ座敷に住まいしていたというご縁があります
大西良慶和上は、清水寺境内の中興堂にお祀りされています
佐伯定胤 法要 → 佐伯定胤 (木津屋の旅)
青龍会 (せいりゅうえ)は、毎年3回催されている行事です
毎年3月15日、4月3日、10月15日
観音さまの化身である青龍が、境内と門前町で舞います
2025年10月15日、お参りしました → 木津屋の旅
これからも、随時に開催予定
紫式部の源氏物語に出てきます。「 四帖 夕顔 」で、惟光(これみつ)と源氏が賀茂川から清水寺の十一面千手観世音菩薩さまに祈ります
紫式部も、清水寺に参っています
↑ 源氏物語 (瀬戸内寂聴 現代語訳)
→ 源氏物語
歌を詠まれています
「 松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すずしかるらん 」 花山法皇 ( かざん ほうおう )
花山法皇が創祀された神社 → 熊野田八坂神社
音羽山で観音さまをお祀りしていた僧侶の賢心と、坂上田村麻呂 ( さかのうえ の たむらまろ)が出逢いました。坂上田村麻呂は寺院建立の協力をし、清水寺は創建されました
坂上田村麻呂は、平安時代の武官です。木津屋は、坂上田村麻呂の直系の子孫です
創建から未明まで、坂上氏の者が清水寺の俗別当を努めました
坂上田村麻呂は、清水寺境内の開山堂(田村堂)にお祀りされています
坂上田村麻呂は、征夷大将軍を務めましたが、その時の蝦夷の長である阿弖流爲( あてるい )と母礼( もれ )の顕彰碑が清水寺轟門の近くに建てられています
坂上田村麻呂を祀る神社 → 杭全神社 (木津屋の旅)
「 清水寺 」 森清範 (清水寺貫主)、田辺聖子 ほか 淡交社
観光が強調されず、とてもフラットなテイストの本と感じます
写真も多く、見やすい
江戸時代に、京都の清水寺から勧請
← 2015年 清水寺の舞台
↑ 2007年 玉出の滝
音羽山清水寺 : 京都府京都市東山区清水1丁目
清水寺創建の子孫 木津屋 大阪府大阪市西区南堀江4-23-27 06-4391-0704