家紋

丸に井桁

丸に井桁の家紋1丸に井桁の家紋2 丸に井筒3糸輪に井桁4 中輪に井桁5細輪に井桁6 丸に組井桁7丸に井桁三8 住友家の井桁9丸に平井筒10

井桁の家紋は、色々な種類がございます。

1番は、木津屋の家紋、「丸に井桁」の家紋でございます。当家に伝わる「丸に井桁」でございますので、他の家に伝わる「丸に井桁」とは微妙に違っております。
2番も、「丸に井桁」の家紋でございますが、井桁の重なる角度や大きさが木津屋の家紋と微妙に違います。
3番は、「丸に角立て井筒」の家紋。井桁でなく井筒と呼ぶことが多うございますが、この家紋を井桁と称して伝わっているお家もございます
4番は、「糸輪に井桁」の家紋。
5番は、「細輪に井桁」の家紋。
6番は、「中輪に井桁」の家紋。
7番は、「丸に組み井桁」の家紋。
8番は、井桁の中に三井家の「三」の文字が入った「丸に井桁三」の家紋。三井越後屋の家紋。
9番は、鰻谷にあった木津屋のお隣り、住友家の家紋で、「井桁」の紋章でございます。大正時代に現在の桁の幅が太い紋章に変わりました。
10番は、「丸に平井筒」とされることが多い家紋ですが、「丸に井桁」と呼ぶこともございます。


時代と家紋

 デパートの「松坂屋」さんは、「丸に井桁」の中に「藤」の文字が入った紋章でございます。この紋章の「井桁」も、創業者伊藤家の「伊」の字に因ると思われます。

 松坂屋の創業は1611年、木津屋の創業は1711年と、ちょうど100年違いです。時代の流れによる家紋の歴史は、今後の調査・研究の課題です。


井桁と井筒

 現在でははっきりと区別されることが多い、「井桁」と「井筒」でございますが、元来は、同じものでございます。上記の「丸に平井筒」のように、「井筒」と分類される事が多い紋章も、家によっては「井桁」と呼ばれて伝わっております。特に昔は、「井筒」と「井桁」の区別が曖昧でございました。紋章の継承の段階で、「井筒」から「井桁」への変化や、図の太さ、角度、配置の変化があったと思われます。


井桁紋

三井家の家紋  一般に「井桁紋」は、浅井氏、三井氏等、井の付く姓の旗本に多い家紋でございます。

 井桁は井戸を表しています。井戸の水は人の命を支えるもので、とても神聖なものです。ですから、古より水の周りは全て神様として信仰の対象でございました。神様の中でも、水を司る神は龍神様として崇められ、有り難くも有り、また恐れられるもしました。ですから、井桁は単なる生活の道具としての井戸ではなく、龍神様を表す家紋とも考えられます。井桁の家紋を使うことで、龍神様によるお家の御加護を願ったのではないでしょうか。
 また、井桁の形が龍の鱗(うろこ)の形にそっくりでございます。これも偶然ではなく、龍神様を表しているのかもしれません。

 写真:三井家の家紋「丸に井桁三」 大阪市西区土佐堀2丁目 三井倉庫
 解説:木津屋治郎兵衛 龍神様の考察は、木津屋治郎兵衛によるもので、通説ではございません。


女紋

 関西の商家特有なのですが、女紋という家紋がございます。お家の代表的な「定紋」とは別に、女性にだけ伝わる家紋です。関西の商家では、お家の存続を最も優先されるべきことと考えておりましたので、優秀な入り婿を迎えるために、女系相続が頻繁に行なわれていました。その結果生まれたのが「女紋」でございます。当家「木津屋」にも「撫子紋」(なでしこもん)が伝わっております。

 旧家におきましては、家紋がいくつも存在することも、良くございます。

 

家紋の起源

 家紋は、武士が戦の際に、敵味方を見極めるために取り入れたことにより広まったと考えられています。それが複雑に派生し、商家などの町人にも使われるようになっていきました。また、武士から商人になる者も多く、商家である木津屋が、武家である浅井家を起源にする「丸に井桁紋」を使用していることは、いたって自然なことでございます。
 また、当家の出自である、日下山願泉寺においても、徳川家の「三つ葉葵」の紋を使用しております。